1月は「上淀廃寺」

今日、シリーズ「遺跡を学ぶ」の1月配本分の『よみがえる仏教彩色壁画 上淀廃寺』の文字組み初校を著者にお送りした。

11月配本の113巻『鳥浜貝塚』と114巻『安永田遺跡』の制作も終わっていないが、その次も始めていないと隔月刊行は成り立たないのだ。

上淀廃寺(かみよどはいじ)は、鳥取県米子市にある白鳳の寺院跡で、後に焼失した金堂の壁材に、彩色仏教壁画が描かれていたことがわかったことで有名な遺跡だ。当時の金堂壁画としては法隆寺の壁画しか知られていなかったので、それが鳥取県の米子で見つかったことから驚きをもって迎えられた。

その事実、壁画の内容自体も重要ながら、なぜ、それが山陰で見つかったのか、どのような背景・つながりがあったのか、と疑問が湧いてくる。本の結論部もそこが核になってくるだろう。著者の主張を十二分に、わかりやすく読者に伝えるように編集してゆきたい。

『縄文時代史』の書評出ました

9日の「赤旗」読書欄に、今年8月に刊行した『縄文時代史』(勅使河原彰著)が紹介された。

「赤旗」は結構、考古学の読者が多く(政治が間違った方向に行かないためには、歴史を正しく把握しなければならないということだと思う)、おかげで注文が多くなった。

評者は長野県富士見高校教諭の三上徹也さん。当社の本の著者でもある。内輪のような感じだが、さすが縄文時代、とくに土器研究の精鋭だけあって、鋭い見方をしている。

僕としては「縄文時代」を知るための基本図書のつもりで編集していたが、三上さんの評価では、縄文時代で論争になっているテーマに、「考古学の本道に基づいて堅実に」論争を挑んだ本だという。すなわち、縄文時代は農耕社会であったかどうか、交易があったか、余剰が生まれ階層社会が生まれたかどうか、南北に長い日本列島のなかを縄文文化でくくれるのか、という問題に。

単純明快な論調でもないし、考古学的論証の部分は読み応えがありすぎる?かもしれないが、文中の図版は全部、著者がトレースし直すなど、手抜きなしの充実した本である。

シリーズ「遺跡を学ぶ」の次回が…

9月頭にシリーズ「遺跡を学ぶ」111巻『日本海を望む「倭の国邑」 妻木晩田遺跡』(濵田竜彦著)と112巻『平城京の屋根を飾った瓦 奈良山瓦窯』(石井清司著)を刊行して、ホッとひと息ついていたら、もう次回刊行が予定の11月上旬から少しずれそうで、慌てている。

次回は、113巻は『縄文のタイムカプセル 鳥浜貝塚』(田中祐二著)と、114巻は『九州の銅鐸工房 安永田遺跡』(藤瀬禎博著)を刊行することで、制作に取り組んでいる(タイトルは仮題)。

で、何で遅れるのか? それは準備の見通しがついていないからだが、どうしても読者にわかりやすいように、面白く読んでいただけるようにと、文章や図版・写真にこだわってしまうからだ。
考古学の本なのだから、発掘調査でわかった事実をしっかり伝えればいいようなものだけれども、読み終えて、何かしら読み応えがあるような、さらに言ってしまえば、知性や心を揺り動かされるような感動をのっけたいのである。

今、流行っている映画・小説『君の名は』の監督・著者の新海誠さんが、「映画の世界は観客が身をゆだねるもの、小説の世界は読者がつかまえるもの」というようなことを語っていた。本の世界の方が冷静で知性的なアプローチのようだ。それが考古「学」の世界なら、なおさらだろう。それでも、心を揺さぶられるような世界を本の中に作りたいと思うのである。

池子遺跡群資料館見学

雨の中、神奈川県逗子市の池子遺跡群資料館に行ってきた。池子遺跡は、あの池子の森に米軍住宅を建設するにあたってかながわ考古学財団が発掘調査した遺跡で、資料室では弥生時代から近現代にいたるまでの生活を語る遺物を展示してあった。

池子遺跡資料室

編集子の池子遺跡への関心は、シリーズ「遺跡を学ぶ」で現在編集作業に入っている「三浦半島の洞穴遺跡」のキーポイントの一つが、海岸の洞穴での生活と台地上の集落での生活がどのようにかかわっているのかにあるので、台地上の集落の代表として勉強しておこうという点にあった。実際、展示をみると、弥生時代の木製農具が、たいへん状態良く残っている。

池子・農具

見学して台地の集落についてイメージが少しは持てるようになったが、それ以上に、逗子海岸へと流れる小さな川の源流近く、台地を削った小さな谷のまわりが、人びとがずーっと暮らしを刻んできた環境であった、そういう土地であった、その重さを感じた見学だった。

シリーズ「遺跡を学ぶ」110巻

前回、第109巻『最後の前方後円墳 龍角寺浅間山古墳』の紹介をしたが、同時配本の第110巻を紹介していなかったので、ご説明しておこう。2冊とも、この週末には書店で発売になっている。

第110巻は『諏訪湖底の狩人たち 曽根遺跡』(三上徹也さん=長野県の高校教諭)

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「諏訪湖底の狩人たち」というタイトルは、湖底から人骨が見つかったといった具体的なことではなく、象徴的な意味合いでつけた。「狩人」には二重の意味があって、一つは湖底に沈む曽根遺跡から掻き上げた膨大な数の石の矢尻(石鏃)を使って狩りをしていた旧石器時代から縄文草創期の狩人たち、もう一つは湖底に遺跡がある謎と美しい石鏃に魅せられて曽根研究に取り組んだ考古学の狩人(研究者)たちだ。
考古学の狩人たちの物語は明治末期までさかのぼる。1909年(明治42)に、地元の小学校教師、橋本福松が石鏃を発見し遺跡であることを確認する。すぐに、東京帝国大学に人類学教室を創設した坪井正五郎が関心を示して調査し、その後、考古学者として名高い鳥居龍蔵や戦後考古学会の重鎮となる八幡一郎が、そして戦後は、のちに日本考古学界をリードすることになる戸沢充則が中学生のときに、さらに在野の考古学者として著名な藤森栄一が取り組む。それぞれの「狩人」たちが、それぞれの課題と人生を賭けて諏訪湖底に挑んだ姿を、諏訪湖畔の街、岡谷に生まれ育ち、少年時代から考古ボーイであった著者が生き生きと描き出す。
ただし、本書の本当の面白さは、著者を含めて諏訪地域の若手(?)研究者が、すでに語り尽くされたと思われていた曽根をあらためて探究した後半の部分にあると編集子は思っている。発掘調査できないため、過去の資料を見直して、いつの時代の遺跡なのか、見えない湖底の層位などを確定していく。さらに、膨大な石鏃を丹念に調べ、どんなふうに矢尻をつくったのか、なにを狩猟したのかと、太古の「狩人」たちに迫っていくところは推理小説のようだ。
そして最後に、なぜ湖底にあるのかの謎を解明する。それは……本で読んでいただきたい。

シリーズ「遺跡を学ぶ」次巻は

シリーズ「遺跡を学ぶ」の第5回配本分の2冊の制作に忙殺され、久々のブログ更新になった。

シリーズ「遺跡を学ぶ」次巻、第109巻は、『最後の前方後円墳 龍角寺浅間山古墳』(著者は、白井久美子さん=千葉県立房総のむら「風土記の丘資料館」主任上席研究員)。

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千葉県北西部にある印旛沼を望む丘陵上に展開する龍角寺(りゅうかくじ)古墳群が今回取り上げた遺跡で、そのなかでも特に浅間山(せんげんやま)古墳を中心に扱っているので、遺跡名は「龍角寺浅間山古墳」とした。
「最後の前方後円墳」というタイトルは、印象的な表現・誇大広告のたぐいではなく、本当に(多分・・・)最後に造営された前方後円墳だという。
それが、なぜ、下総・印旛の地に造営されたのか、それが109巻のテーマになる。

カバーに使った写真は、浅間山古墳の石室から出土した、金銅製の杏葉(ぎょうよう)という馬具飾り。大きく扱ったので、ぜひ手元でじっくり見て、その文様と彫刻の様子、質感を味わってほしい。
この形と文様は、法隆寺に献納された馬具にルーツがあり、杏葉というもの自体は古墳の副葬品によくあるものだけれども、デザインは仏教美術の影響を受けているという特別なものだ。また出土した冠飾りが、法隆寺の百済観音の宝冠の飾りとそっくりだったりする。(本文では、イラスト入りで比較した)

そもそも名称になっている「龍角寺」自体が、古墳群の近隣にある初期に創建された寺で、本尊の薬師如来像(仏頭)は、大和山田寺の仏頭、東京の深大寺の釈迦如来像とならぶ白鳳時代の仏像だ。

本書は、このほか周辺の古墳群なども考察しながら、古墳時代から古代へと移り変わろうとする時代に、地域社会の支配者たちが、中央のヤマト王権の支配拡大にどのように対応し、どのように自分たちの勢力をのばしていったかを追究する。
けっして畿内の古墳のように巨大であったり豪華な副葬品が出土したりするわけではないが、当時の歴史を知るという点では、大きな構想で、ダイナミックな内容になっている。ぜひ、読んでほしい。6月8日頃には書店で販売になります。

安丸良夫氏逝去

日本史研究者、民衆思想史の安丸良夫氏が逝去された。

大学に入ってまもなく講義の課題で『日本の近代化と民衆思想』を読んで、何もわからなかったけれども、学問というものが、対象をただ研究することではなく、自分のものの見方、社会の見方の深さが問われることであることを思い知らされた。

それから三〇年以上経つが、その後、そうしたずしりと重い本に出会っていないし、自分もそうした本を編集しえたという実感がない。その後、民衆思想史(民衆史ではない)という方法は発展しなかったように思う。どこに問題があるのだろうか。その見方はどこへ行ってしまったのだろうか。本作りのなかでいつも気になっている。

 

オフィシャル vs パブリック

光陰矢の如し。先週木曜日、3月31日に古舘伊知郎さんが報道ステーションのメーンキャスターを辞めたが、その時に、言いたいことが言えない、一定の言い方にはめ込まなければならない縛りがある、というようなことを言っていた。

オフィシャルな人が権力を行使する場合には、抑圧的、恣意的であってはならないだろうが、一般人が自分の意見を語るのにどうしてそんな規制が必要だろうか。逆に、パブリック(一般大衆)は自分ならではの不満、憤り、願いを、自分なりの表現で語っていいはずだ。

単行本の世界でも、「公的な見解」のように表現する文章・文体が多くなっている、そうすることで「私的な意見」ではないような表現を使い傾向が、著者にも、出版社にもあるようにたびたび感じる。このことは、今後具体的事例で考えていきたい。

 

戸沢充則先生の墓参り

桜が咲くと、シリーズ「遺跡を学ぶ」監修者であった戸沢充則先生と、ああしよう、こうしようと企画を立てていた日々を思い出す。今日は、戸沢充則先生の墓参りに行ってきた。先生は2012年の4月9日に亡くなられたので、すでに4年が経つことになる。

この間、シリーズ「遺跡を学ぶ」は100巻を達成し、次の100巻を刊行中だが、より良いものにできているだろうか。「発掘の原点から考古学の本質を問い続ける試みとして、日本考古学が存続する限り、永く継続すべき企画と決意しています」(「刊行にあたって」)という戸沢先生の思想をもういちど想いながら、編集していくつもりだ。

ティク・ナット・ハン新刊

ここ数年、3月末には、ベトナム出身の仏教者ティク・ナット・ハンの新刊を刊行している。
今年編集しているのは、『ブッダの〈今を生きる〉瞑想』。
ティク・ナット・ハンが、『ブッダの〈気づき〉の瞑想』『ブッダの〈呼吸〉の瞑想』とともに、瞑想の基本図書としている一冊だ。

誤解を恐れずに言えば、〈気づき〉は等身大のありのままの自分に気づくことを教え、〈呼吸〉は瞑想の基本的な方法を示していると言える。それに対して今回の〈今を生きる〉は、過去を悔やんでも未来に託しても現実的でなく、今、この瞬間に、ここに生きていることから出発しなさいと教えていて、瞑想の方法というよりも姿勢を示していることで「基本」と言える内容だ。

今という時間にしか現象しないというのは、考えてみれば、哲学・社会学の時間論にも通じていて、ルーマンのリスク論とも関連して、僕には、瞑想とは別の意味でも楽しい編集作業になっている。

今年はいつもより半月早く、3月中旬にお届けできる予定だ。