『入門 家族社会学』

金曜日の夜9時に東京駅近くの中央郵便局に行って、執筆者へ校正紙を速達で送った。その本は『入門 家族社会学』。家族社会学の若手研究者13名が、自分たちが教えたいテキストを作ろうということで始まった企画である。4月から使えるようにと、最後の校正に追われているわけだ。

熟練研究者の学生が疑問に思うところ理解しがたいところをよく知っていて、十分配慮がゆきとどいたテキストもいいが、今の問題点をそのまま出したような、ゴツゴツした、ちょっとこだわりが強い若手研究者との本作りも楽しい仕事だ。

「これを知ってほしい!」「このことを訴えたい!」という熱意のある、「ひと味違う」テキストを3月中に刊行する予定だ。

116巻は『上淀廃寺』

シリーズ「遺跡を学ぶ」の115巻『吉野ヶ里遺跡』と同時に刊行するのは、116巻『よみがえる金堂壁画 上淀廃寺』(中原 斉著)である。鳥取県の旧淀江町の上淀集落でみつかった、今は廃れてしまった寺院ということで上淀廃寺というとのこと(現在は米子市)。元は飛鳥寺、法隆寺といった寺名があったはずだが今はわからない。

その上淀廃寺から、壁画が描かれていた金堂の壁材片が出土した。白鳳時代の金堂壁画というと法隆寺金堂壁画しか知られていなかったので、驚きをもって迎えられた。金堂は奈良時代に炎上した。そのために焼け締まって、かえって土の中で腐食せずに残った。しかし、焼けたために、描かれた絵の具の成分により、消えてしまった絵の具があり、白鳳当時の煌びやかな世界がそのまま残ってはいない。

ひとつひとつの壁画片から元の壁画を復元してゆくのが本書のストーリーの骨格になる。壁画片ひとつひとつの写真、そして復元した壁画の画像、それと法隆寺金堂壁画、さらに敦煌莫高窟の壁画と塑像の写真も掲載したので、白鳳の仏教彩色仏教壁画の世界を楽しんでほしい。(結構、費用がかかりました)

上淀廃寺の壁画はかなり熟練した画工によるという。著者は、法隆寺壁画を描いた人物(工房)との関連性も想像している。

『吉野ヶ里遺跡』の制作終了

シリーズ「遺跡を学ぶ」次回配本の115巻『邪馬台国時代のクニの都 吉野ヶ里遺跡』の制作がやっと終わった。本来ならば1月末刊行の予定だったので、1ヶ月近く遅れたことになる。見本は今週の水曜日22日の予定。書店に並ぶのは3月1日頃になる。

吉野ヶ里遺跡というと、原寸大復元した歴史公園に行ったことのある人も多いだろうし、多くの人がその映像を見たことがあるだろうし、著者の七田忠昭さんはさまざまな場と形で吉野ヶ里遺跡を語っているので、本シリーズ「遺跡を学ぶ」はどのような特徴のある内容にするかが悩んだ点だった。

総花的に触れるべき点は触れたが、最終的には、弥生時代前期から終末期まで誕生、発展、終息してゆく「吉野ヶ里集落」の内容をていねいに解説することを七田さんにお願いした。
「結局、吉野ヶ里遺跡とは何なのか?」という疑問をみなさん持っていると思うが、本書をぜひ読んでみてほしい。

 

シリーズ「遺跡を学ぶ」編集会議

シリーズ「遺跡を学ぶ」は、編集委員の先生方に、取り上げる遺跡とその執筆者の選定や編集作業について指導・助言をえて刊行している。その編集委員会が12月9日(金)におこなわれた。

編集委員は、おもに旧石器時代を担当していただいているのが小野昭先生、縄文時代が勅使河原彰先生、弥生時代が石川日出志先生、古墳時代が佐々木憲一先生、古代が小澤毅先生、中世が小野正敏先生と、本シリーズを企画していただいたのが故戸沢充則先生なので明治大学出身の方が多いけれども、そうした出身を超えて、どの先生も各分野の重鎮である。

読者からはよく「何であの遺跡がないのか」「○○遺跡を刊行してほしい」という要望をいただくが、まだ発掘調査が進行中で執筆まで行かない遺跡、報告書が出ていない遺跡、適任の執筆者がいるかいなかなど、刊行できるには条件が揃わないとできない。編集委員の先生方はそうした状況にくわしく、執筆の適任者を選んでいただいているのである。

また、考古学として必要な内容、考古学的な叙述、これからの考古学について的確な指摘を受け、「編集作業はもっと深く考えてやらなきゃ」「ようし、もっと良い内容にするぞ!」と、新たに気合いを入れている。

戸沢充則の学問を考える

この土日に、諏訪湖のほとり、岡谷市に行ってきた。ここには2012年に亡くなった戸沢充則氏の論文・書籍などを整理保存し勉強できるようにした「海戸塾」という場があり、今回は戸沢充則氏の研究の内容と意味を考究する書籍の企画で、執筆者たちが集まって各原稿を検討したのだった。

戸沢氏の学問については、本人自身が生前にまとめた書籍を当社から刊行しているので(『考古学のこころ』『考古地域史論』『歴史遺産を未来へ残す』『語りかける縄文人』等)、新しい内容になるのか不安もあったが、執筆者の発表を聴くと、新しい視点や戸沢氏の重要な論点の意味が改めて深く理解できることもあって、この企画が必ず良い本になると実感した。

これらか完成原稿の執筆、編集作業をへて、七回忌にあたる2018年4月に刊行する予定である。

20161120%e4%b8%8a%e3%81%ae%e6%ae%b5(写真は、茅野市上之段石器時代遺跡にて)

文化財を考える

『縄文時代ガイドブック』や『縄文時代史』の著者、文化財保存全国協議会常任委員の勅使河原彰さんから、『明日への文化財』という原稿を受け取った。「戦後の文化財保存運動の歴史を跡づける」もので、文化財保存全国協議会45周年の記念企画である。

僕は、シリーズ「遺跡を学ぶ」という、一遺跡一冊で紹介する本を編集しているが、多くの遺跡で、大切に思って日々保存に努力した地元の方がいたことを教えられる。

遺跡そのものやそこから出来上がった歴史の話は面白いが、面白いからこそ、もっと文化財保存のことを真っ直ぐに見つめなくてはいけないと思う。そのための本になるように作りたい。

本企画に登場する保存運動にかかわる遺跡は、大きく取り上げるのは、月ノ輪古墳、イタスケ古墳、平城宮跡、池上曽根遺跡、伊場遺跡、裏山遺跡、田和山遺跡、それと災害遺跡、戦争遺跡の10項目。それにコラムで、登呂遺跡、岩宿遺跡、南堀貝塚、綾羅木郷遺跡、田能遺跡、加曽利貝塚、多摩ニュータウン遺跡群、摂津加茂遺跡、難波宮跡、青木遺跡、塚原古墳群、三ツ寺Ⅰ遺跡、吉野ヶ里遺跡群、鷲城・祇園城跡、鞆の浦、平泉柳之御所、神戸港震災メモリアルパーク、木籠メモリアルパーク、首里城、原爆ドームの20項目。
どこにも長く関わった人たちの味のある文章にふれることができる。

来年の5月に発行する予定である。

113巻の紹介

114巻『九州の銅鐸工房 安永田遺跡』の概要を先日紹介しましたが、同時発売(11月末)の113巻『縄文のタイムカプセル 鳥浜貝塚』の概要がまとまりましたので紹介いたします。

シリーズ「遺跡を学ぶ」113
縄文のタイムカプセル 鳥浜貝塚
田中祐二著

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名勝三方五湖の最奥、三方湖近くの鳥浜貝塚から、縄文時代の丸木舟や赤漆を塗った櫛、多彩な縄と編物、骨や角でつくった精巧な装飾品など有機質の遺物が豊富に出土した。その洗練された技術と色彩感覚は、縄文時代のイメージを一変させるのに大きな役割をはたしたのである。
「通常の縄文時代の遺跡から出土する多くは、無機質の土器や石器、地面を掘りくぼめただけの竪穴住居跡といった、茶色や灰色、黒色と色彩に乏しく、質感の冷たいものであり、まさに見栄えのしない印象しかもてなかったからである。
ところが、低湿地性貝塚である鳥浜貝塚からは、縄文時代、それも前期という早い段階の、大型のものでは丸木舟にはじまって、櫂、石斧柄、弓、容器、櫛などの木製品、縄や編物など繊維製品、刺突具やヘアピンと思われる骨角器など有機質の遺物が豊富に出土したのである。しかも、木製品だけでなく、土器にも漆が塗られるなど、その洗練された技術や色彩感覚は、縄文時代の暗くてみすぼらしいというイメージを一変させるのに大きな役割をはたしたのである。」

●目次

第1章 湖畔の縄文遺跡
   1 母なる海と湖
   2 古三方湖と遺跡群
第2章 鳥浜貝塚を掘る
   1 鳥浜貝塚の発見
   2 こじ開けられたタイムカプセル
   3 自然科学研究者の参加
   4 念願の住居跡発見と貝塚の成り立ち
第3章 鳥浜貝塚の時代と自然環境
   1 鳥浜貝塚の時代
   2 土器編年の確立
   2 自然環境の変化
第4章 鳥浜縄文ムラにせまる
   1 鳥浜縄文ムラの痕跡
   2 鳥浜縄文人の食料と生業
   3 鳥浜貝塚は「定住」集落だったのか?
   4 クリとウルシの管理栽培は
第5章 鳥浜縄文人の世界
   1 煮炊きの道具だけではない土器
   2 生活の変化を示す石器群
   3 鳥浜貝塚を特色づける木の道具
   4 姿をあらわした縄と編物の世界
   5 骨角器と装身具
第6章 鳥浜貝塚を伝える

●著者紹介
田中祐二(たなか・ゆうじ)
1974年、兵庫県生まれ。
明治大学大学院文学研究科史学専攻博士前期課程修了。
現在、福井県立一乗谷朝倉氏遺跡資料館主任。
主な著作 「鳥浜貝塚出土の石器群(1)─草創期石器群の器種分類」『鳥浜貝塚研究』3、『特別展図録 鳥浜貝塚とその時代』福井県立若狭歴史民俗資料館ほか。

114巻は安永田遺跡

シリーズ「遺跡を学ぶ」114巻は佐賀県鳥栖市の安永田遺跡です。
第7回配本で、11月末には全国書店にて販売開始です。

シリーズ「遺跡を学ぶ」114
九州の銅鐸工房 安永田遺跡
藤瀨禎博著

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北部九州の交通の要衝、佐賀県鳥栖市の安永田遺跡から銅鐸の鋳型が出土した。それは「近畿中心の銅鐸分布圏/北部九州中心の銅剣・銅矛分布圏」という従来の弥生時代文化圏に再検討をせまることになった。筑紫平野に花開いた弥生時代のテクノポリスを探訪する。
「西に佐賀平野、東に筑後川中流域の両筑平野、南に筑後平野、そして北に二日市地狭帯を経て福岡平野へと通じる文化の十字路(クロスロード)に位置する鳥栖地域は、弥生時代から文物・文化の交易・交流をおし進めた地域であり、現代でも「交通の要衝」であり「九州のへそ」である。」

●目次
第1章 九州ではじめての銅鐸鋳型
   1 銅鐸鋳型の発見
   2 青銅器の種類と名称
第2章 安永田遺跡は青銅器工房だ
   1 安永田遺跡の発掘
   2 銅鐸鋳型がつぎつぎに出土
   3 青銅器工房の時期
第3章 広がる青銅器工房
   1 福田型銅鐸を追
   2 青銅器の一大生産地・柚比遺跡群
   3 柚比遺跡群以外にも工人集落が
第4章 青銅器生産の実態解明へ
   1 青銅器の誕生と日本列島への伝来
   2 弥生時代の青銅器製作に挑む
   3 鋳型石材の産地を求めて
第5章 弥生時代のテクノポリス
   1 青銅器生産と渡来人
   2 北部九州弥生文化圏
   3 残された課題

●著者紹介
藤瀨禎博(ふじせ・よしひろ)
1947年、福岡県飯塚市生まれ。
明治大学文学部史学地理学科考古学専攻卒業。
1977年より鳥栖市教育委員会に所属し、生涯学習課参事(市誌編纂係長)等を務め退職。現在、鳥栖郷土研究会会長。
主な著作 「安永田遺跡の青銅器鋳型について」(松本清張編『銅鐸と女王国の時代』日本放送出版協会)、「環有明海と出雲─青銅器の生産と流通─」(『歴史読本』42-5、新人物往来社)、「環有明海の青銅器文化─青銅器生産はいつはじまったか─」(『地域と文化の考古学』六一書房)、「青銅器文化と技術の革新」『鳥栖市誌』第2巻ほか。

113巻は鳥浜貝塚

あっという間に1週間が過ぎてしまった。今週はシリーズ「遺跡を学ぶ」の次回配本分の制作に追われていた。

前も書いたが、次回11月配本のひとつ113巻は、『縄文のタイムカプセル 鳥浜貝塚』。福井県の若狭湾最奥、三方湖のほとりの縄文時代前期の遺跡だ。

発掘調査がおこなわれたのはすでに随分前になるが、それまでの土器・石器などしかなかった世界から、それこそ縄文の名のとおりの縄や木の器や道具、赤漆塗りの弓や竪櫛、アミかご、布などさまざまな生活の品が見つかった。今では縄文時代の常識かもしれないが、当時はまさにタイムカプセルが開いたように衝撃的だったという。その点を著者の田中祐二さんは次のように記している。

「通常の縄文時代の遺跡から出土する多くは、無機質の土器や石器、地面を掘りくぼめただけの竪穴住居跡といった、茶色や灰色、黒色と色彩に乏しく、質感の冷たいものであり、まさに見栄えのしない印象しかもてなかったからである。
ところが、低湿地性貝塚である鳥浜貝塚からは、縄文時代、それも前期という早い段階の、大型のものでは丸木舟にはじまって、櫂、石斧柄、弓、容器、櫛などの木製品、縄や編物など繊維製品、刺突具やヘアピンと思われる骨角器など有機質の遺物が豊富に出土したのである。しかも、木製品だけでなく、土器にも漆が塗られるなど、その洗練された技術や色彩感覚は、縄文時代の暗くてみすぼらしいというイメージを一変させるのに大きな役割をはたしたのである。」

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本来ならば11月上旬に予定だったが、少し遅れ下旬に発売できます。ぜひ、読んでほしい。

三浦半島の海蝕洞穴

シリーズ「遺跡を学ぶ」で来年3月に刊行を予定している、三浦半島の海食洞穴を見学に、ハイキングコースにもなっている半島最南端の毘沙門海岸に行ってきた。

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ここの海崖に開いた毘沙門洞穴は、弥生時代に、前面に広がる海で魚や貝を獲る基地にしたところで、銛やアワビ起こしの道具、また貝の装飾品を製作した痕跡が出土している。

実際に現地に行ってみると、やはり資料では実感できないことがある。
その一つは、三浦半島の海岸の地層は、粘土質の軟らかい層と凝灰岩の硬い層から成り立っていて、軟らかい層が波の浸食で削り取られることから洞穴ができあがってゆくのだが、実際に現地に行ってみると、この軟らかい層が本当に軟らかいのである。破片を手に取って握ると崩すことができるほどだ。海岸では浸食が今もどんどん進んでいるのである。

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もう一つは、洞穴の前に豊かな漁場が広がっているとはいえ、また隆起によって洞穴は海岸から数メートル上で波をかぶる恐れはないとはいえ、外洋に向いた洞穴は風が吹きつけ、うねりはじける波の音がして、厳しい環境と感じた。ここを根城に海に出漁した弥生時代の人びとの自然に向き合う勇敢さ、技術の確かさを感じたのである。

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