文化財を考える

『縄文時代ガイドブック』や『縄文時代史』の著者、文化財保存全国協議会常任委員の勅使河原彰さんから、『明日への文化財』という原稿を受け取った。「戦後の文化財保存運動の歴史を跡づける」もので、文化財保存全国協議会45周年の記念企画である。

僕は、シリーズ「遺跡を学ぶ」という、一遺跡一冊で紹介する本を編集しているが、多くの遺跡で、大切に思って日々保存に努力した地元の方がいたことを教えられる。

遺跡そのものやそこから出来上がった歴史の話は面白いが、面白いからこそ、もっと文化財保存のことを真っ直ぐに見つめなくてはいけないと思う。そのための本になるように作りたい。

本企画に登場する保存運動にかかわる遺跡は、大きく取り上げるのは、月ノ輪古墳、イタスケ古墳、平城宮跡、池上曽根遺跡、伊場遺跡、裏山遺跡、田和山遺跡、それと災害遺跡、戦争遺跡の10項目。それにコラムで、登呂遺跡、岩宿遺跡、南堀貝塚、綾羅木郷遺跡、田能遺跡、加曽利貝塚、多摩ニュータウン遺跡群、摂津加茂遺跡、難波宮跡、青木遺跡、塚原古墳群、三ツ寺Ⅰ遺跡、吉野ヶ里遺跡群、鷲城・祇園城跡、鞆の浦、平泉柳之御所、神戸港震災メモリアルパーク、木籠メモリアルパーク、首里城、原爆ドームの20項目。
どこにも長く関わった人たちの味のある文章にふれることができる。

来年の5月に発行する予定である。

113巻の紹介

114巻『九州の銅鐸工房 安永田遺跡』の概要を先日紹介しましたが、同時発売(11月末)の113巻『縄文のタイムカプセル 鳥浜貝塚』の概要がまとまりましたので紹介いたします。

シリーズ「遺跡を学ぶ」113
縄文のタイムカプセル 鳥浜貝塚
田中祐二著

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名勝三方五湖の最奥、三方湖近くの鳥浜貝塚から、縄文時代の丸木舟や赤漆を塗った櫛、多彩な縄と編物、骨や角でつくった精巧な装飾品など有機質の遺物が豊富に出土した。その洗練された技術と色彩感覚は、縄文時代のイメージを一変させるのに大きな役割をはたしたのである。
「通常の縄文時代の遺跡から出土する多くは、無機質の土器や石器、地面を掘りくぼめただけの竪穴住居跡といった、茶色や灰色、黒色と色彩に乏しく、質感の冷たいものであり、まさに見栄えのしない印象しかもてなかったからである。
ところが、低湿地性貝塚である鳥浜貝塚からは、縄文時代、それも前期という早い段階の、大型のものでは丸木舟にはじまって、櫂、石斧柄、弓、容器、櫛などの木製品、縄や編物など繊維製品、刺突具やヘアピンと思われる骨角器など有機質の遺物が豊富に出土したのである。しかも、木製品だけでなく、土器にも漆が塗られるなど、その洗練された技術や色彩感覚は、縄文時代の暗くてみすぼらしいというイメージを一変させるのに大きな役割をはたしたのである。」

●目次

第1章 湖畔の縄文遺跡
   1 母なる海と湖
   2 古三方湖と遺跡群
第2章 鳥浜貝塚を掘る
   1 鳥浜貝塚の発見
   2 こじ開けられたタイムカプセル
   3 自然科学研究者の参加
   4 念願の住居跡発見と貝塚の成り立ち
第3章 鳥浜貝塚の時代と自然環境
   1 鳥浜貝塚の時代
   2 土器編年の確立
   2 自然環境の変化
第4章 鳥浜縄文ムラにせまる
   1 鳥浜縄文ムラの痕跡
   2 鳥浜縄文人の食料と生業
   3 鳥浜貝塚は「定住」集落だったのか?
   4 クリとウルシの管理栽培は
第5章 鳥浜縄文人の世界
   1 煮炊きの道具だけではない土器
   2 生活の変化を示す石器群
   3 鳥浜貝塚を特色づける木の道具
   4 姿をあらわした縄と編物の世界
   5 骨角器と装身具
第6章 鳥浜貝塚を伝える

●著者紹介
田中祐二(たなか・ゆうじ)
1974年、兵庫県生まれ。
明治大学大学院文学研究科史学専攻博士前期課程修了。
現在、福井県立一乗谷朝倉氏遺跡資料館主任。
主な著作 「鳥浜貝塚出土の石器群(1)─草創期石器群の器種分類」『鳥浜貝塚研究』3、『特別展図録 鳥浜貝塚とその時代』福井県立若狭歴史民俗資料館ほか。

114巻は安永田遺跡

シリーズ「遺跡を学ぶ」114巻は佐賀県鳥栖市の安永田遺跡です。
第7回配本で、11月末には全国書店にて販売開始です。

シリーズ「遺跡を学ぶ」114
九州の銅鐸工房 安永田遺跡
藤瀨禎博著

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北部九州の交通の要衝、佐賀県鳥栖市の安永田遺跡から銅鐸の鋳型が出土した。それは「近畿中心の銅鐸分布圏/北部九州中心の銅剣・銅矛分布圏」という従来の弥生時代文化圏に再検討をせまることになった。筑紫平野に花開いた弥生時代のテクノポリスを探訪する。
「西に佐賀平野、東に筑後川中流域の両筑平野、南に筑後平野、そして北に二日市地狭帯を経て福岡平野へと通じる文化の十字路(クロスロード)に位置する鳥栖地域は、弥生時代から文物・文化の交易・交流をおし進めた地域であり、現代でも「交通の要衝」であり「九州のへそ」である。」

●目次
第1章 九州ではじめての銅鐸鋳型
   1 銅鐸鋳型の発見
   2 青銅器の種類と名称
第2章 安永田遺跡は青銅器工房だ
   1 安永田遺跡の発掘
   2 銅鐸鋳型がつぎつぎに出土
   3 青銅器工房の時期
第3章 広がる青銅器工房
   1 福田型銅鐸を追
   2 青銅器の一大生産地・柚比遺跡群
   3 柚比遺跡群以外にも工人集落が
第4章 青銅器生産の実態解明へ
   1 青銅器の誕生と日本列島への伝来
   2 弥生時代の青銅器製作に挑む
   3 鋳型石材の産地を求めて
第5章 弥生時代のテクノポリス
   1 青銅器生産と渡来人
   2 北部九州弥生文化圏
   3 残された課題

●著者紹介
藤瀨禎博(ふじせ・よしひろ)
1947年、福岡県飯塚市生まれ。
明治大学文学部史学地理学科考古学専攻卒業。
1977年より鳥栖市教育委員会に所属し、生涯学習課参事(市誌編纂係長)等を務め退職。現在、鳥栖郷土研究会会長。
主な著作 「安永田遺跡の青銅器鋳型について」(松本清張編『銅鐸と女王国の時代』日本放送出版協会)、「環有明海と出雲─青銅器の生産と流通─」(『歴史読本』42-5、新人物往来社)、「環有明海の青銅器文化─青銅器生産はいつはじまったか─」(『地域と文化の考古学』六一書房)、「青銅器文化と技術の革新」『鳥栖市誌』第2巻ほか。

113巻は鳥浜貝塚

あっという間に1週間が過ぎてしまった。今週はシリーズ「遺跡を学ぶ」の次回配本分の制作に追われていた。

前も書いたが、次回11月配本のひとつ113巻は、『縄文のタイムカプセル 鳥浜貝塚』。福井県の若狭湾最奥、三方湖のほとりの縄文時代前期の遺跡だ。

発掘調査がおこなわれたのはすでに随分前になるが、それまでの土器・石器などしかなかった世界から、それこそ縄文の名のとおりの縄や木の器や道具、赤漆塗りの弓や竪櫛、アミかご、布などさまざまな生活の品が見つかった。今では縄文時代の常識かもしれないが、当時はまさにタイムカプセルが開いたように衝撃的だったという。その点を著者の田中祐二さんは次のように記している。

「通常の縄文時代の遺跡から出土する多くは、無機質の土器や石器、地面を掘りくぼめただけの竪穴住居跡といった、茶色や灰色、黒色と色彩に乏しく、質感の冷たいものであり、まさに見栄えのしない印象しかもてなかったからである。
ところが、低湿地性貝塚である鳥浜貝塚からは、縄文時代、それも前期という早い段階の、大型のものでは丸木舟にはじまって、櫂、石斧柄、弓、容器、櫛などの木製品、縄や編物など繊維製品、刺突具やヘアピンと思われる骨角器など有機質の遺物が豊富に出土したのである。しかも、木製品だけでなく、土器にも漆が塗られるなど、その洗練された技術や色彩感覚は、縄文時代の暗くてみすぼらしいというイメージを一変させるのに大きな役割をはたしたのである。」

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本来ならば11月上旬に予定だったが、少し遅れ下旬に発売できます。ぜひ、読んでほしい。

三浦半島の海蝕洞穴

シリーズ「遺跡を学ぶ」で来年3月に刊行を予定している、三浦半島の海食洞穴を見学に、ハイキングコースにもなっている半島最南端の毘沙門海岸に行ってきた。

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ここの海崖に開いた毘沙門洞穴は、弥生時代に、前面に広がる海で魚や貝を獲る基地にしたところで、銛やアワビ起こしの道具、また貝の装飾品を製作した痕跡が出土している。

実際に現地に行ってみると、やはり資料では実感できないことがある。
その一つは、三浦半島の海岸の地層は、粘土質の軟らかい層と凝灰岩の硬い層から成り立っていて、軟らかい層が波の浸食で削り取られることから洞穴ができあがってゆくのだが、実際に現地に行ってみると、この軟らかい層が本当に軟らかいのである。破片を手に取って握ると崩すことができるほどだ。海岸では浸食が今もどんどん進んでいるのである。

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もう一つは、洞穴の前に豊かな漁場が広がっているとはいえ、また隆起によって洞穴は海岸から数メートル上で波をかぶる恐れはないとはいえ、外洋に向いた洞穴は風が吹きつけ、うねりはじける波の音がして、厳しい環境と感じた。ここを根城に海に出漁した弥生時代の人びとの自然に向き合う勇敢さ、技術の確かさを感じたのである。

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野宿者協同組合「ぽたらか」

昨日、平尾弘衆さんと新しい企画の打合せをした。弘衆さんとは2001年に『尼僧が行く!』以来の本作りになる。この16年、弘衆さんは、ホームレスが自ら住む家を確保し、仕事をしようという試み、野宿者協同組合「ぽたらか」をやっている。その活動の顛末を本にしようという。

「ぽたらか」の活動の中心は「無料低額宿泊所」である。無料低額宿泊所といえば、NHKのドキュメンタリー番組が「貧困ビジネス」という言葉で、ホームレスを喰い物にする連中の利用した制度として有名になった。「貧困ビジネスと間違われませんか」と訊いたら、「あえて言えば、ホームレスによるホームレスのための貧困ビジネスです」と弘衆さん。

「あいかわらずホームレスは汚く、おかしな人という一般観念がある。常識から外れているかもしれないけど、その気持ち、振る舞いは誰もが抱えていることでは。それを正直に出してしまった、ある意味、人間的な人たち」という。

「とんでもない」ことは、やはり「とんでもない」ことなのだろう。でも、「なぜ、とんでもないか」を考えていくと、常識のほうが「とんでもないのではないか」という局面が見えてくるのか。魅力的だが危険な企画になりそう。

1月は「上淀廃寺」

今日、シリーズ「遺跡を学ぶ」の1月配本分の『よみがえる仏教彩色壁画 上淀廃寺』の文字組み初校を著者にお送りした。

11月配本の113巻『鳥浜貝塚』と114巻『安永田遺跡』の制作も終わっていないが、その次も始めていないと隔月刊行は成り立たないのだ。

上淀廃寺(かみよどはいじ)は、鳥取県米子市にある白鳳の寺院跡で、後に焼失した金堂の壁材に、彩色仏教壁画が描かれていたことがわかったことで有名な遺跡だ。当時の金堂壁画としては法隆寺の壁画しか知られていなかったので、それが鳥取県の米子で見つかったことから驚きをもって迎えられた。

その事実、壁画の内容自体も重要ながら、なぜ、それが山陰で見つかったのか、どのような背景・つながりがあったのか、と疑問が湧いてくる。本の結論部もそこが核になってくるだろう。著者の主張を十二分に、わかりやすく読者に伝えるように編集してゆきたい。

『縄文時代史』の書評出ました

9日の「赤旗」読書欄に、今年8月に刊行した『縄文時代史』(勅使河原彰著)が紹介された。

「赤旗」は結構、考古学の読者が多く(政治が間違った方向に行かないためには、歴史を正しく把握しなければならないということだと思う)、おかげで注文が多くなった。

評者は長野県富士見高校教諭の三上徹也さん。当社の本の著者でもある。内輪のような感じだが、さすが縄文時代、とくに土器研究の精鋭だけあって、鋭い見方をしている。

僕としては「縄文時代」を知るための基本図書のつもりで編集していたが、三上さんの評価では、縄文時代で論争になっているテーマに、「考古学の本道に基づいて堅実に」論争を挑んだ本だという。すなわち、縄文時代は農耕社会であったかどうか、交易があったか、余剰が生まれ階層社会が生まれたかどうか、南北に長い日本列島のなかを縄文文化でくくれるのか、という問題に。

単純明快な論調でもないし、考古学的論証の部分は読み応えがありすぎる?かもしれないが、文中の図版は全部、著者がトレースし直すなど、手抜きなしの充実した本である。

シリーズ「遺跡を学ぶ」の次回が…

9月頭にシリーズ「遺跡を学ぶ」111巻『日本海を望む「倭の国邑」 妻木晩田遺跡』(濵田竜彦著)と112巻『平城京の屋根を飾った瓦 奈良山瓦窯』(石井清司著)を刊行して、ホッとひと息ついていたら、もう次回刊行が予定の11月上旬から少しずれそうで、慌てている。

次回は、113巻は『縄文のタイムカプセル 鳥浜貝塚』(田中祐二著)と、114巻は『九州の銅鐸工房 安永田遺跡』(藤瀬禎博著)を刊行することで、制作に取り組んでいる(タイトルは仮題)。

で、何で遅れるのか? それは準備の見通しがついていないからだが、どうしても読者にわかりやすいように、面白く読んでいただけるようにと、文章や図版・写真にこだわってしまうからだ。
考古学の本なのだから、発掘調査でわかった事実をしっかり伝えればいいようなものだけれども、読み終えて、何かしら読み応えがあるような、さらに言ってしまえば、知性や心を揺り動かされるような感動をのっけたいのである。

今、流行っている映画・小説『君の名は』の監督・著者の新海誠さんが、「映画の世界は観客が身をゆだねるもの、小説の世界は読者がつかまえるもの」というようなことを語っていた。本の世界の方が冷静で知性的なアプローチのようだ。それが考古「学」の世界なら、なおさらだろう。それでも、心を揺さぶられるような世界を本の中に作りたいと思うのである。

池子遺跡群資料館見学

雨の中、神奈川県逗子市の池子遺跡群資料館に行ってきた。池子遺跡は、あの池子の森に米軍住宅を建設するにあたってかながわ考古学財団が発掘調査した遺跡で、資料室では弥生時代から近現代にいたるまでの生活を語る遺物を展示してあった。

池子遺跡資料室

編集子の池子遺跡への関心は、シリーズ「遺跡を学ぶ」で現在編集作業に入っている「三浦半島の洞穴遺跡」のキーポイントの一つが、海岸の洞穴での生活と台地上の集落での生活がどのようにかかわっているのかにあるので、台地上の集落の代表として勉強しておこうという点にあった。実際、展示をみると、弥生時代の木製農具が、たいへん状態良く残っている。

池子・農具

見学して台地の集落についてイメージが少しは持てるようになったが、それ以上に、逗子海岸へと流れる小さな川の源流近く、台地を削った小さな谷のまわりが、人びとがずーっと暮らしを刻んできた環境であった、そういう土地であった、その重さを感じた見学だった。