113巻は鳥浜貝塚

あっという間に1週間が過ぎてしまった。今週はシリーズ「遺跡を学ぶ」の次回配本分の制作に追われていた。

前も書いたが、次回11月配本のひとつ113巻は、『縄文のタイムカプセル 鳥浜貝塚』。福井県の若狭湾最奥、三方湖のほとりの縄文時代前期の遺跡だ。

発掘調査がおこなわれたのはすでに随分前になるが、それまでの土器・石器などしかなかった世界から、それこそ縄文の名のとおりの縄や木の器や道具、赤漆塗りの弓や竪櫛、アミかご、布などさまざまな生活の品が見つかった。今では縄文時代の常識かもしれないが、当時はまさにタイムカプセルが開いたように衝撃的だったという。その点を著者の田中祐二さんは次のように記している。

「通常の縄文時代の遺跡から出土する多くは、無機質の土器や石器、地面を掘りくぼめただけの竪穴住居跡といった、茶色や灰色、黒色と色彩に乏しく、質感の冷たいものであり、まさに見栄えのしない印象しかもてなかったからである。
ところが、低湿地性貝塚である鳥浜貝塚からは、縄文時代、それも前期という早い段階の、大型のものでは丸木舟にはじまって、櫂、石斧柄、弓、容器、櫛などの木製品、縄や編物など繊維製品、刺突具やヘアピンと思われる骨角器など有機質の遺物が豊富に出土したのである。しかも、木製品だけでなく、土器にも漆が塗られるなど、その洗練された技術や色彩感覚は、縄文時代の暗くてみすぼらしいというイメージを一変させるのに大きな役割をはたしたのである。」

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本来ならば11月上旬に予定だったが、少し遅れ下旬に発売できます。ぜひ、読んでほしい。

三浦半島の海蝕洞穴

シリーズ「遺跡を学ぶ」で来年3月に刊行を予定している、三浦半島の海食洞穴を見学に、ハイキングコースにもなっている半島最南端の毘沙門海岸に行ってきた。

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ここの海崖に開いた毘沙門洞穴は、弥生時代に、前面に広がる海で魚や貝を獲る基地にしたところで、銛やアワビ起こしの道具、また貝の装飾品を製作した痕跡が出土している。

実際に現地に行ってみると、やはり資料では実感できないことがある。
その一つは、三浦半島の海岸の地層は、粘土質の軟らかい層と凝灰岩の硬い層から成り立っていて、軟らかい層が波の浸食で削り取られることから洞穴ができあがってゆくのだが、実際に現地に行ってみると、この軟らかい層が本当に軟らかいのである。破片を手に取って握ると崩すことができるほどだ。海岸では浸食が今もどんどん進んでいるのである。

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もう一つは、洞穴の前に豊かな漁場が広がっているとはいえ、また隆起によって洞穴は海岸から数メートル上で波をかぶる恐れはないとはいえ、外洋に向いた洞穴は風が吹きつけ、うねりはじける波の音がして、厳しい環境と感じた。ここを根城に海に出漁した弥生時代の人びとの自然に向き合う勇敢さ、技術の確かさを感じたのである。

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野宿者協同組合「ぽたらか」

昨日、平尾弘衆さんと新しい企画の打合せをした。弘衆さんとは2001年に『尼僧が行く!』以来の本作りになる。この16年、弘衆さんは、ホームレスが自ら住む家を確保し、仕事をしようという試み、野宿者協同組合「ぽたらか」をやっている。その活動の顛末を本にしようという。

「ぽたらか」の活動の中心は「無料低額宿泊所」である。無料低額宿泊所といえば、NHKのドキュメンタリー番組が「貧困ビジネス」という言葉で、ホームレスを喰い物にする連中の利用した制度として有名になった。「貧困ビジネスと間違われませんか」と訊いたら、「あえて言えば、ホームレスによるホームレスのための貧困ビジネスです」と弘衆さん。

「あいかわらずホームレスは汚く、おかしな人という一般観念がある。常識から外れているかもしれないけど、その気持ち、振る舞いは誰もが抱えていることでは。それを正直に出してしまった、ある意味、人間的な人たち」という。

「とんでもない」ことは、やはり「とんでもない」ことなのだろう。でも、「なぜ、とんでもないか」を考えていくと、常識のほうが「とんでもないのではないか」という局面が見えてくるのか。魅力的だが危険な企画になりそう。

1月は「上淀廃寺」

今日、シリーズ「遺跡を学ぶ」の1月配本分の『よみがえる仏教彩色壁画 上淀廃寺』の文字組み初校を著者にお送りした。

11月配本の113巻『鳥浜貝塚』と114巻『安永田遺跡』の制作も終わっていないが、その次も始めていないと隔月刊行は成り立たないのだ。

上淀廃寺(かみよどはいじ)は、鳥取県米子市にある白鳳の寺院跡で、後に焼失した金堂の壁材に、彩色仏教壁画が描かれていたことがわかったことで有名な遺跡だ。当時の金堂壁画としては法隆寺の壁画しか知られていなかったので、それが鳥取県の米子で見つかったことから驚きをもって迎えられた。

その事実、壁画の内容自体も重要ながら、なぜ、それが山陰で見つかったのか、どのような背景・つながりがあったのか、と疑問が湧いてくる。本の結論部もそこが核になってくるだろう。著者の主張を十二分に、わかりやすく読者に伝えるように編集してゆきたい。

『縄文時代史』の書評出ました

9日の「赤旗」読書欄に、今年8月に刊行した『縄文時代史』(勅使河原彰著)が紹介された。

「赤旗」は結構、考古学の読者が多く(政治が間違った方向に行かないためには、歴史を正しく把握しなければならないということだと思う)、おかげで注文が多くなった。

評者は長野県富士見高校教諭の三上徹也さん。当社の本の著者でもある。内輪のような感じだが、さすが縄文時代、とくに土器研究の精鋭だけあって、鋭い見方をしている。

僕としては「縄文時代」を知るための基本図書のつもりで編集していたが、三上さんの評価では、縄文時代で論争になっているテーマに、「考古学の本道に基づいて堅実に」論争を挑んだ本だという。すなわち、縄文時代は農耕社会であったかどうか、交易があったか、余剰が生まれ階層社会が生まれたかどうか、南北に長い日本列島のなかを縄文文化でくくれるのか、という問題に。

単純明快な論調でもないし、考古学的論証の部分は読み応えがありすぎる?かもしれないが、文中の図版は全部、著者がトレースし直すなど、手抜きなしの充実した本である。

シリーズ「遺跡を学ぶ」の次回が…

9月頭にシリーズ「遺跡を学ぶ」111巻『日本海を望む「倭の国邑」 妻木晩田遺跡』(濵田竜彦著)と112巻『平城京の屋根を飾った瓦 奈良山瓦窯』(石井清司著)を刊行して、ホッとひと息ついていたら、もう次回刊行が予定の11月上旬から少しずれそうで、慌てている。

次回は、113巻は『縄文のタイムカプセル 鳥浜貝塚』(田中祐二著)と、114巻は『九州の銅鐸工房 安永田遺跡』(藤瀬禎博著)を刊行することで、制作に取り組んでいる(タイトルは仮題)。

で、何で遅れるのか? それは準備の見通しがついていないからだが、どうしても読者にわかりやすいように、面白く読んでいただけるようにと、文章や図版・写真にこだわってしまうからだ。
考古学の本なのだから、発掘調査でわかった事実をしっかり伝えればいいようなものだけれども、読み終えて、何かしら読み応えがあるような、さらに言ってしまえば、知性や心を揺り動かされるような感動をのっけたいのである。

今、流行っている映画・小説『君の名は』の監督・著者の新海誠さんが、「映画の世界は観客が身をゆだねるもの、小説の世界は読者がつかまえるもの」というようなことを語っていた。本の世界の方が冷静で知性的なアプローチのようだ。それが考古「学」の世界なら、なおさらだろう。それでも、心を揺さぶられるような世界を本の中に作りたいと思うのである。

池子遺跡群資料館見学

雨の中、神奈川県逗子市の池子遺跡群資料館に行ってきた。池子遺跡は、あの池子の森に米軍住宅を建設するにあたってかながわ考古学財団が発掘調査した遺跡で、資料室では弥生時代から近現代にいたるまでの生活を語る遺物を展示してあった。

池子遺跡資料室

編集子の池子遺跡への関心は、シリーズ「遺跡を学ぶ」で現在編集作業に入っている「三浦半島の洞穴遺跡」のキーポイントの一つが、海岸の洞穴での生活と台地上の集落での生活がどのようにかかわっているのかにあるので、台地上の集落の代表として勉強しておこうという点にあった。実際、展示をみると、弥生時代の木製農具が、たいへん状態良く残っている。

池子・農具

見学して台地の集落についてイメージが少しは持てるようになったが、それ以上に、逗子海岸へと流れる小さな川の源流近く、台地を削った小さな谷のまわりが、人びとがずーっと暮らしを刻んできた環境であった、そういう土地であった、その重さを感じた見学だった。

シリーズ「遺跡を学ぶ」110巻

前回、第109巻『最後の前方後円墳 龍角寺浅間山古墳』の紹介をしたが、同時配本の第110巻を紹介していなかったので、ご説明しておこう。2冊とも、この週末には書店で発売になっている。

第110巻は『諏訪湖底の狩人たち 曽根遺跡』(三上徹也さん=長野県の高校教諭)

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「諏訪湖底の狩人たち」というタイトルは、湖底から人骨が見つかったといった具体的なことではなく、象徴的な意味合いでつけた。「狩人」には二重の意味があって、一つは湖底に沈む曽根遺跡から掻き上げた膨大な数の石の矢尻(石鏃)を使って狩りをしていた旧石器時代から縄文草創期の狩人たち、もう一つは湖底に遺跡がある謎と美しい石鏃に魅せられて曽根研究に取り組んだ考古学の狩人(研究者)たちだ。
考古学の狩人たちの物語は明治末期までさかのぼる。1909年(明治42)に、地元の小学校教師、橋本福松が石鏃を発見し遺跡であることを確認する。すぐに、東京帝国大学に人類学教室を創設した坪井正五郎が関心を示して調査し、その後、考古学者として名高い鳥居龍蔵や戦後考古学会の重鎮となる八幡一郎が、そして戦後は、のちに日本考古学界をリードすることになる戸沢充則が中学生のときに、さらに在野の考古学者として著名な藤森栄一が取り組む。それぞれの「狩人」たちが、それぞれの課題と人生を賭けて諏訪湖底に挑んだ姿を、諏訪湖畔の街、岡谷に生まれ育ち、少年時代から考古ボーイであった著者が生き生きと描き出す。
ただし、本書の本当の面白さは、著者を含めて諏訪地域の若手(?)研究者が、すでに語り尽くされたと思われていた曽根をあらためて探究した後半の部分にあると編集子は思っている。発掘調査できないため、過去の資料を見直して、いつの時代の遺跡なのか、見えない湖底の層位などを確定していく。さらに、膨大な石鏃を丹念に調べ、どんなふうに矢尻をつくったのか、なにを狩猟したのかと、太古の「狩人」たちに迫っていくところは推理小説のようだ。
そして最後に、なぜ湖底にあるのかの謎を解明する。それは……本で読んでいただきたい。

シリーズ「遺跡を学ぶ」次巻は

シリーズ「遺跡を学ぶ」の第5回配本分の2冊の制作に忙殺され、久々のブログ更新になった。

シリーズ「遺跡を学ぶ」次巻、第109巻は、『最後の前方後円墳 龍角寺浅間山古墳』(著者は、白井久美子さん=千葉県立房総のむら「風土記の丘資料館」主任上席研究員)。

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千葉県北西部にある印旛沼を望む丘陵上に展開する龍角寺(りゅうかくじ)古墳群が今回取り上げた遺跡で、そのなかでも特に浅間山(せんげんやま)古墳を中心に扱っているので、遺跡名は「龍角寺浅間山古墳」とした。
「最後の前方後円墳」というタイトルは、印象的な表現・誇大広告のたぐいではなく、本当に(多分・・・)最後に造営された前方後円墳だという。
それが、なぜ、下総・印旛の地に造営されたのか、それが109巻のテーマになる。

カバーに使った写真は、浅間山古墳の石室から出土した、金銅製の杏葉(ぎょうよう)という馬具飾り。大きく扱ったので、ぜひ手元でじっくり見て、その文様と彫刻の様子、質感を味わってほしい。
この形と文様は、法隆寺に献納された馬具にルーツがあり、杏葉というもの自体は古墳の副葬品によくあるものだけれども、デザインは仏教美術の影響を受けているという特別なものだ。また出土した冠飾りが、法隆寺の百済観音の宝冠の飾りとそっくりだったりする。(本文では、イラスト入りで比較した)

そもそも名称になっている「龍角寺」自体が、古墳群の近隣にある初期に創建された寺で、本尊の薬師如来像(仏頭)は、大和山田寺の仏頭、東京の深大寺の釈迦如来像とならぶ白鳳時代の仏像だ。

本書は、このほか周辺の古墳群なども考察しながら、古墳時代から古代へと移り変わろうとする時代に、地域社会の支配者たちが、中央のヤマト王権の支配拡大にどのように対応し、どのように自分たちの勢力をのばしていったかを追究する。
けっして畿内の古墳のように巨大であったり豪華な副葬品が出土したりするわけではないが、当時の歴史を知るという点では、大きな構想で、ダイナミックな内容になっている。ぜひ、読んでほしい。6月8日頃には書店で販売になります。

安丸良夫氏逝去

日本史研究者、民衆思想史の安丸良夫氏が逝去された。

大学に入ってまもなく講義の課題で『日本の近代化と民衆思想』を読んで、何もわからなかったけれども、学問というものが、対象をただ研究することではなく、自分のものの見方、社会の見方の深さが問われることであることを思い知らされた。

それから三〇年以上経つが、その後、そうしたずしりと重い本に出会っていないし、自分もそうした本を編集しえたという実感がない。その後、民衆思想史(民衆史ではない)という方法は発展しなかったように思う。どこに問題があるのだろうか。その見方はどこへ行ってしまったのだろうか。本作りのなかでいつも気になっている。