安丸良夫氏逝去

日本史研究者、民衆思想史の安丸良夫氏が逝去された。

大学に入ってまもなく講義の課題で『日本の近代化と民衆思想』を読んで、何もわからなかったけれども、学問というものが、対象をただ研究することではなく、自分のものの見方、社会の見方の深さが問われることであることを思い知らされた。

それから三〇年以上経つが、その後、そうしたずしりと重い本に出会っていないし、自分もそうした本を編集しえたという実感がない。その後、民衆思想史(民衆史ではない)という方法は発展しなかったように思う。どこに問題があるのだろうか。その見方はどこへ行ってしまったのだろうか。本作りのなかでいつも気になっている。

 

オフィシャル vs パブリック

光陰矢の如し。先週木曜日、3月31日に古舘伊知郎さんが報道ステーションのメーンキャスターを辞めたが、その時に、言いたいことが言えない、一定の言い方にはめ込まなければならない縛りがある、というようなことを言っていた。

オフィシャルな人が権力を行使する場合には、抑圧的、恣意的であってはならないだろうが、一般人が自分の意見を語るのにどうしてそんな規制が必要だろうか。逆に、パブリック(一般大衆)は自分ならではの不満、憤り、願いを、自分なりの表現で語っていいはずだ。

単行本の世界でも、「公的な見解」のように表現する文章・文体が多くなっている、そうすることで「私的な意見」ではないような表現を使い傾向が、著者にも、出版社にもあるようにたびたび感じる。このことは、今後具体的事例で考えていきたい。

 

戸沢充則先生の墓参り

桜が咲くと、シリーズ「遺跡を学ぶ」監修者であった戸沢充則先生と、ああしよう、こうしようと企画を立てていた日々を思い出す。今日は、戸沢充則先生の墓参りに行ってきた。先生は2012年の4月9日に亡くなられたので、すでに4年が経つことになる。

この間、シリーズ「遺跡を学ぶ」は100巻を達成し、次の100巻を刊行中だが、より良いものにできているだろうか。「発掘の原点から考古学の本質を問い続ける試みとして、日本考古学が存続する限り、永く継続すべき企画と決意しています」(「刊行にあたって」)という戸沢先生の思想をもういちど想いながら、編集していくつもりだ。